運営者の個人的ヒストリー

運営者について


ボクのコンセプトは楽しみながら(可能な限り、、)充実した人生を過ごす事ですから、 ボク自身はこれまでいつも明るく楽しくいつも過ごして来たのかと言えば正直言うと、そうでもない多少辛い時期もありましたし、いまだにその頃のことを思い出す事はあります、まぁ一つのいい経験であったとも言えますが、、、

ある時元マラソンランナーの増田明美さんが言っていたのが、彼女が現役時代にアメリカ人のトレーナーに「結果 が出せたからハッピーになるのではなく、ハッピーだから結果が出せるんだよ、だから楽しむ事がすごく大事なん だ。」と言われたことがあったそうで、その事を聞いた後は見方が変わったと言っていました。

ボクが考えているのは正にこれなんですよね。本当の心の奥から自然と湧き上がってくる喜びや嬉しさの感情がうきうきワクワクするような感情なのではないか、、、規範意識、親や周りの期待等によって抑圧されてしまった本当の自分の感情を開放し、あるがままの自分で本当に心がうきうきする様な事をする事で、結果として望んでいる事が実現していくと思う訳ですが、皆さんはどう思いますか?

ここでボク自身について恥ずかしながらちょっと紹介しようと思います。二十歳ごろまでは地元の工場の労働者と して平凡に働いていましたが、このままで良いんだろうかと漠然と考えていてました。アットホームな雰囲気の職 場で居心地は悪くは無かった訳ですが、特に難しいわけでもない作業を毎日繰り返していて何か物足りなかった のかもしれません。又ボクの親父が若い頃仕事でアメリカに行った時の話をしていた時「お前はアメリカの様な自由の国にいった方がいい」みたいな話をしていたのを思い出しました、そんな頃に始めていた英語の勉強が今思えば人生の転機だったといえます。

3年ほど勤めた仕事を辞めて、何か技能等を身に付け食っていきたいと思っていたボクは、やりたことの候補の内元々好きだった絵を描くことを仕事 にしたいと考えて代々木にあるアニメーションの学校に通い始めたわけです。もちろん英語も独学で勉強を続け ていました。何で英語を勉強し始めたのかと言えば、色々ありましたけど、やっぱり親父の影響と子供の頃にテレビで見たセサミストリートや映画で 見た自由の国アメリカに憧れや希望を抱いていたんでしょうね。

クラスはいつも午後からで時間がある午前中は学校の近くの外人の先生が英語を教えに来るちょっと変わった 喫茶店で働く事にしたのですが、ここの人達との出会いがきっかけで人生の見方が少しづつ変わっていきました。

そこの喫茶店でもう既に働いていた何人かのうちの一人は少し年上の男の人でとても外国志向が強い人で、既 に英語がぺらぺらだった彼から聞いた話はどれも非常に興味深く、急に外国が近い存在に感じたわけなんです。 その年にもまた期間を決めずにアイルランドに行くという話しを聞いて無性にボクも行きたくなり夏休みを利用して 初めての海外へ、一人でアイルランドへ数週間出かけたんです。

とにかく何もかもが未体験の未知のゾーンと言いますか、とにかくエキサイティングで愉快な経験でした。今思え ば多少無茶ですが若さなんでしょうね、不安よりも好奇心のほうが強かったですね。しかし外国に出てあらため て自分の英語力の未熟さと自分自身の未熟さを痛感しました。

2年間学んだアニメーションは結局ほんの一部の天才たちの世界と言うのが分かりその道には進みませんでし たが、その間に実に色々考える時間があったし、色々な人間に会い貴重な体験も出来て有意義な時間でした。

学校卒業後にとにかく長期間外国に行こうと決めていたボクは、蓄えを学費に殆ど使ってしまっていたので地元 の運送会社に就職し資金を貯める事にしました。とにかくあの時はがむしゃらに働いてましたね、一年半働き資 金はたまりましたが体も多少壊しました。

宅配便と言うのは実に大変な仕事です、そんな彼らのお陰で今の便利な生活があると言えます、宅配ドライバー の皆様ホントに毎日ご苦労様です( _ _ )。

そうしてためた資金を使い当時ソビエトから独立したばかりのエストニアに二度目の海外単独旅行に出ました。 単独とは言っても目的地のエストニアには日本で知り合った現地の友人がいたので、現地に着いてからは、そ の人達に約2ヶ月間世話になりっぱなしでしたけど(^^;)。

まだまだ貧しかった当時ですが人々は温かくとても豊かで感動しました。世界ウルルン滞在記を見た事ある人は 分かると思いますが、田舎に住む人々は心優しく温かいんですよね。今思うと今迄で一番感動した体験だったか も知れません。

次の年の94年春に色々考えた末、オーストラリアにワーキングホリデービザを使い渡豪しました。場所はブリス ベン、なぜブリスベンなのかというと、まず当時は余り日本人が行っていない所らしいという事ですね、後は気候が温暖というのもありました。そんなこんなで期待と不安、興奮が入り混じった全くのゼロからスタート、結果的には約1年と1ヶ月オーストラリアで過ご したわけですが、とにかく色々あり過ぎてここでは省略しますが、ここでの体験が今のボクの生き方の元になってます。

もしまだ26歳未満の人や知っている人が26歳未満なら、ぜひこのワーキングホリデー制度を利用して外国に滞 在して欲しいと思います。人生の一時期全く知らない土地で過ごすのはすごい貴重な体験になると思います。

中でも面白かった事はブリスベンですぐに極真空手を始めて、半年ほど地元の人間に混じって道場の内弟子に なった事でしょうか、偶然見つけたその道場はキャメロンクインと言う師範の道場で当時は強い人が沢山いて、 厳しかったけれど今となっては楽しい思い出です。

特に地方の大会の軽量級で優勝した事と尊敬する増田章師範がオーストラリアにセミナーに来て一緒に稽古出 来た事はうれしかったですね。そしてボクが今の道場にお世話になるきっかけになった、川原氏が日本から出稽 古にちょうどいいタイミングでこられて短い間だったけれど過ごす事が出来たのも貴重な体験でした。

ちょっとマニアックな話になってしまいましたが、実に充実した時を過ごしましたし、英語もお蔭様でだいぶ上達し 空手も面白いし生活費がかからないオーストラリアにもう少し居たかったのですが、当時はビザを取るのが難しく 滞在を諦めその後ヨーロッパを3ヶ月ほど放浪の旅をして帰国したわけです。

帰国後は今もお世話になっている金子師範代の大井町にある極真の空手道場で稽古をするようになったんです ね。この頃になるとかなり空手にかなりのめり込んでて、稽古や英語の勉強などの時間が自分次第で取れる融 通の利く仕事を探してて見つけて始めたのが車検の代行とポスティングでした。

今はそれだけでは生活出来ないかもしれませんが当時としては悪くなかったし何より自分次第で時間を作れたので、仕事、稽古、勉強 と何だか燃えてました。情熱を捧げられる事の喜びを感じていましたし、まさに青春ですね。

その当時考えてた事を思い出すと、とにかく多少大きな空手の大会で出来ればもう一度優勝して、とにかくあの気持ちをも う一度味わいたい、そして心の奥では周りの人に認めてもらいたい、そう思っていた気がします。実際周りの皆がボクについてどう思っていたのかは定かではありませんが、ボクとしては選手として頑張った後で次のことを考えようと思っていたと思います。

がしかし現実は厳しく、 オーストラリア地方大会優勝以後の試合では支部内での試合での準優勝が最高で今考えるとその時が体力や回復力のピークで、 余り丈夫とは言えない体、そして年々衰える回復力、思う様に結果が出ない現実、そしてもうすぐ30歳と言う時期で、こんな暮らしで良いのだろうか?、、と人生についての事等の色々な葛藤がありました。

大井町や蒲田道場の先輩や稽古仲間と一緒に稽古して、人に劣る事が悔しく、負けず嫌いだったボクは体力もセンスもある先輩達等にとにかく 必死について行ってた様に思います。そのお陰で、元々虚弱だった体質が多少は強くなりました。それで道場の金子師範代と一緒 に二度オーストラリアの全国大会にチャレンジしましたが、残念ながらボクは二回とも三回戦で判定で負けました。

相手に負けたと言うより自分に負けた気がします。とにかくまだまだ気持ちが未熟で、動機が曖昧でした。一方金子師範代はさすがにベテラン、センスの違いと言いますか場数の違いと言いますか、実に落ち着いてて怪我にもかかわらず、 道場と変わらぬ動きで97年には優勝、自分との違いを認識させられましたし、あの体の丈夫さには本当に感心します。トーナメントで勝ち上がるには気持ちはもちろん大事ですが、それとやはり体の頑丈さが必要で、その面で劣る人はより多くの色々な努力が必要です。そこをボクは埋められませんでした。

試合や稽古を通して普通では分からない実に色々な事を学びましたが、大会では残念ながら望んだ様な結果は出ませんでした。 人生について色々と考えていたボクは、また自分を違った環境において人生について見つめ直してみようと思い自分の第二の故郷とも言 えるエストニアへ行く事に決めました。(結果的にその後随分経ってから再度奮起して極真の大会に出て幸い一部の大会で優勝できましたけれど、、)

場所はパルヌと言う4万人ぐらいの小さな町(エストニアでは大きいほう?)懐かしい友人らにも会い、古い家の 一角に一人暮らしを始めました。

日本から離れてゆっくり考えていると自分が本当にやりたい事、人生とは何なのかが少しづつはっきりして来た ように思います。約半年程一人でそこで生活し、水道は無くガスも無い、電気は一応来てましたが、使う家電が 無かった、そんな不便な生活?にもかかわらず結構楽しかったんですよね。

日本のように行き届いたサービスや溢れんばかりの工業製品などは無いのですが、人との付き合いや触れ合い がありました、空手の大会等の刺激とはまた違う、手ごたえのある生活と言いましょうか、とにかく面白かった。

日本では余り味わった事の無い豊かさと言いますか、ボクにはすごく居心地がよくて、自分に合っていましたね。 時々地元の全然スタイルの違う空手道場でボランティアで指導もしてたのですがそれがまた新鮮で楽しかった。

大自然を目の前にして対戦相手(人間)を倒す事ばかり考えていた事が何だか人間だけの限られた狭い世界に思えて、 それはそれで自分自身の内面を成長させる部分もありますし学ぶ事も多いですが、厳しい環境で暮らしている人々には又違った力強さと思いやりがある、 武道だとか人間の強さ、人生、生命とは一体何なんだろうかと純粋に考えたし、とにかくまだまだボクの知らない世界があちこちにある、たった一度の人生 だし色々な体験が出来る生活を手に入れたいとその時強く思いました。

でもどうやって?そこが問題なんですよね。でも状況が許す限りその後も外国を旅しました。ロシア製の古い車で バルト三国をキャンプしながらを横断したり、ヨーロッパからシベリア横断鉄道を使って北京まで行ったり、色々な 所で船にも乗りましたね。

なぜそんな旅ばかりしたのかと言えば、年をとってしまってからではそんな冒険的な無茶が出来なくなるかもしれませんし(ボクは したいと思いますけど(^^))価値観も変わってしまうかもしれません。責任ある立場に立ってしまえば寅さんのよ うにぷらっと風に吹かれるように旅に出るなんて出来ないかもしれませんし、何といっても旅にでる事ほど人生に新しい息吹を吹き込み、人生について考える事はないのではないでしょうか?。

とにかく色々な本もその間読みましたね、その中で影響を受けたのが日系アメリカ人が書いた本で皆さんもご存 知かも知れませんが少し前にミリオンセラーになった金持ち父さん貧乏父さんと言う本です。彼が言う事がなんと なく自分の感覚に似ている、共感できる部分が多かった訳です。

考えてみれば一人悩み壁にぶち当たると何かしらの本を読んでいましたね、、学生時代は落ちこぼれだったボクは当時の教育システムには、はっきり言ってなじめなかった、とにかく教育や ら社会には疑問だらけ、でも何もわかっていなかったボクはただ訳も分からず反発していたのかも知れません。

でも今考えてみると反発して当然だったのではないか?と思っています。なぜ勉強するのか?又学問が何の為にあるのか?社会とは、人生とは一体何か?そんなボクの疑問にはっきり答えてくれる人は当時居ませんでした、そんな時に読んでいた本はアントニオ猪木の「苦しみの中から立ち上がれ」でした、当時は勇気付けられましたね〜、、(^^;)。

実際ボクは勉強は嫌いじゃなかったと思います、色々なものに興味ありましたから、、でも本当に勉強が好きでその学問を深く掘り下げて行こうとしても飲み込みが遅かったり受験の為テクニックが無いと落ちこぼれて行ってしまっていく訳です。学問の意味も考えずただ受験の為に詰め込み勉強のみでは学問に興味が出るわけがありません。そうしてボクは落ちこぼれていってしまいました。

大人?になっても今から思うと自分でも気が付かない内に多少なりとも劣等感や孤独感に人知れず悩み苦しんでいたボクですが、それで何かしら答えを探していたボクはその度に色々な本を読んだり考えたりしてきました。でも、何か掴み所のないもやもやしてる所もあった、でもその金持ち父さん貧乏父さんという本を読んで目覚 めた感じがしたんです。そうなんだ、人と同じ様に雇われたりしようと人が作ったレールに乗ろうとするから無理があった、自分自身で事業等を起こし運営していく 能力があれば、たとえ安定は無くても手ごたえのある自由な人生をおくれるんじゃないかって、何かやりがいを探していたボクは小さく てもいいから自分で商売をする事にしたんです。

でもボクにとってはただ金儲けだけなんて言うのは余りに寂しい、商売でも個人の活動にしてもとにかくボクも含 めて気持ちが豊かになる事をしていきたいと思っているわけです。特に最近忘れかけてしまった純粋な気持ちを 取り戻すといいますか、思いやりの気持ちと言いますか、とにかく何か人の気持ちが豊かになる事をしてボクも 豊かになっていきたい、そう考えています。

今のボクにとって空手は選手として大会などに出るだけの物じゃなく人生の哲学的な物とも言えますし、それを 通じて様々な人々に会えたり、体験を与えてくれる貴重な財産です。最近は衰えつつある体に鞭打って稽古をして大会に出場したりしていますが、以前とくらべ心にも余裕が出てきたようです、それも空手のお陰でしょうか?、、、 そして色々な貴重な体験を可能にしてくれた独自に学んできた英語も物質とは違う貴重な財産と言えます。

ちょっと紹介しますと言いながら結構長くなってしまいましたが、 とにかく一人でも多くの人が望む人生を手にいれ幸せになれればと思いますし、そのお手伝いが出来ればいいですね。

photos somephotos






HOMEへ戻る


Copyright MKワールドサプライズ